彼女の心が壊れた日

「乾さん、乾さんから見たらウチ仕事出来ると思う?」

暗く、強張った表情でE子が私に近づき尋ねた。

ここしばらく目に見えての気持ちの塞ぎようはこれだったのか。

「うーん、いきなり聞かれても。   何かあったんですか?  それだけでは ちょっと答えようがないです。」

この私の ”返し” が既に答えになっている。

しかし、それに気づく思考回路は彼女にはない。  答えを待っている。

そこに、自分が望む言葉を返してくれるように、との期待が見える。

「H氏に言われたから、、、  責任者としての能力がない、と。」

【思わぬ誤算】

H氏は直球で人に打撃を与えるような物言いをする人ではない。

物腰柔らかく、それに釣り合いのとれたフワリとした表現をする人である。

“ありのまま”を言葉にして表現するのは難しい。

感情に支配されやすい人は、他者の言葉をそのまま伝えるより、自分の言葉に置き換え自分に味方してもらえるよう、ややもすると悲劇の主人公になるに相応しい表現を無意識に用いる傾向がある。(ように思える)

この「無意識の表現」こそ、日頃の思考の習慣であり言語として本人の内から外へ言葉として現れ、その人を個性づけるものである。

E子もそうである。

ボソッ、ボソッとまとまりなく喋り出す。

「具体的に聞かせてもらっても良いですか?   何に対して、どう指摘されたのか」

【溢れ出した不満】

ネパール人の指導がなっていない

半年以上前から言っているのに何も改善されていない

けど、あの子らだって必死で頑張ってくれているのにこれ以上しんどい事させられへんし

最初、ウチ来た時メチャクチャレベル低過ぎて、それ全部指導して治させてきた

ヘッドもヨレヨレやったのに今みんなキレイに出来るようになった

そこ知らんから偉そうに言って来る、何やねん、何も知らんくせに

溜まっていたのだろう、H氏に対する不満・怒り・悔しさ等、唇の筋肉運動止まることなく、続く、続く。

何よりE子を惨めにさせたのは、日頃 能力がないと見下していたH氏に面と向かって言われた事であろう。

「乾さん、どう思う?  日本語 通じへんねん、こっちが言ってる事全く理解出来ていなくて、全然違う報告会社にしているし、もうウチびっくりして。  あんなにアホやと思わへんかったわ」

「ほんまに何もせーへん、もっと仕事しろよと思うわ。 あれで よう役職ついてるわ」

怒りが頂点に達した時は

顔見たくもない・口きくのも嫌や・メールのやり取りも嫌や、どうせちゃんとまともに読まれへんのやから。

E子からH氏の事は何度も聞かされたが、H氏がE子の話をする事は一度もなかった。

むしろE子を責任者として立てていた。  「E子さんが良いと言ったら良いよ」と、何か改善策打ち出した時は必ずその言葉が返ってきた。

“自分(E子)は、この現場にはなくてはならない存在・自分でここは回っている”

その自覚がE子の頑張りになっていた。

会社からも絶対的な信頼を得ている。

会社役員、N氏の事も「あんなアホ、会社継いだら、ここ潰れるわ、そうなったらウチ辞めるし

それが何時からか、「N氏、アホや思てたけど結構考えているわ、しっかりしているで」に変わった。  何かE子を喜ばせる言葉がN氏から返って来たのだろう。

「N氏は何て言ってはーるんですか?  この事、H氏から会社に報告上がっているんですか?」

「N氏は私の能力買ってくれている。  仕事出来るし、真面目だし、いつも褒めてくれている」

【勘違い】

そうだろうか。

彼女の頑張りは、会社にとって ”都合の良さ” でしかないように見える。

たとえ休日でも電話が入ると、必ず出勤してくる。

社員が現場を掛け持ちしなくて済む、会社にとっては有り難い存在なのだろう、都合の良い。

それを裏付けるかの如く、E子が初めて企画した忘年会、「日本人だけでやりたい」

気乗りはしなかったが、人間関係、あまり達者でない(本人も自覚している)E子が気合を入れている。その彼女の気持ちを汲みTACチームも参加する事に。

「会社からも5人来るから」

役員にも声をかけたようで、「えらい大袈裟な」そう思いながらも、E子にとっては それだけ嬉しい事なんだろうと眺めていた。

忘年会当日、E子・日本人チーム6人・TACチーム3人・チェッカー1人、E子が予約していた居酒屋へ。

若者、学生が多くBGM頭の上で喧しく、音量調整お願いしたが、出来ないとの事。 加えて狭く、背中側の空間がほぼ無く落ち着かない。

飲食予約は全てスマホから。

E子、注文する事に集中し始まりの挨拶もなく、会話も弾まず、一体感全く感じられず。

会社からの5人、待てど来ず、先に乾杯。  最後まで、会社からは一人の参加も無かった。

それだけで、会社におけるE子の存在がどのようなものなのか、分かりそうなものなのだが。

バラバラな形でのお開き。

主催慣れしていない者が企画・進行役を務めると何とも言い難い時間の無駄を味わう事になる。

軽い疲労感を残しただけの会になった。

【地味できつい仕事】

“ホテルルームの清掃” という地味だが体力消耗の激しい労働の日々 繰り返し。

しんどい割には、ホテルからミスの指摘は これでもか と言わんばかりに浴びせられる。

報われない、と感じるようでは まず続かない。

面白いのは、ミスに自分のクセが出る。

自分は何のミスが多いのか、上位を分析する事は自身に向き合う事にもなる。

忘年会以降も、日々 同じ時間が過ぎていき「その日」が来た。

【置き換えられた言葉】

「乾さんから見てウチ仕事出来ると思う?」

この問いに彼女の本心・自負の高さが出ている。

“出来ない・能力がない” の否定に対し、”出来る”という肯定に固定させ聞いている。

言葉が置き換えられている。

カウンセリングであるなら、受容・共感・傾聴で接するが、今ここではそれを求められていない。

乾の本音を聞きたがっている。

「E子さん、E子さんが頑張ってはーるのは分かっていますよ、よく動いてはーるし。  ただ、E子さんの思う能力とH氏の考える能力、求める能力が一致していないんじゃないですか。   H氏、仕事出来はーりますよ」

「ウチ、仕事一緒にした事ないし、H氏のどこが仕事出来るの?」

「ムダがないですね。 動きも早いし。  何より、私達の前ではH氏、E子さんの事いつも立ててはーりますよ。  何か案言っても必ず、E子さんが良いと言ったら良いよ、と。 その場で返事されませんよ。  H氏からE子さんの事 聞いた事今まで一度もありませんよ。  人前で、他者の評価、判断された事一度もなかったですよ。」

聞いているE子の表情が驚き、怪訝、落ち込み等に変化していく。

「うーん、けど」と言って下を向いたまま。

想定外の答えだったのだろう。  一緒に文句を言ってもらえるのを期待していたのだろう。

彼女の感情を煽る事は何の進歩的変化を起こさない。

このやり取りの後、すぐに彼女は移動になった。

「行きたくない、イヤや」と言っていた場所、人が辞めたからと代わりに移動させられた。

自分のアイデンティティ、自分を支える「私でもっている」その自負心がボロボロに崩れたのは言うまでもない。

体調を理由に、更新まで半年を残したまま会社を辞めた。

【物語り】

一人、一人に物語りがある。

“心が折れた時”

それは正に自分の物語りを書き換える時なのであろう。

“痛み” は、自分を変えるに十分な ”その時” である事を教えてくれている。

が、人はなかなか変わらない。

殆どの人にとっての現実であるようだ。

変わらなくても、「生きている」「生きられている」

それが足を引っ張っているのだろう。

かくいう私も、もれなく ”その一人” である。


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