心理カウンセラー・乾の本音ブログ

心理カウンセラー・乾の本音ブログ 第1回

ブログを書いてきた。

初回は何時だったのか、調べ返してみた。

2005年10月30日、「心理学教室TAC・アフロスの気まぐれ日記」として始まったようだ。

当時の在校生の方達に、やいのやいのと言われ、正直気乗りしないまま書き出したんだったと思いだした。

「先生のブログ、読んでラクになる人絶対居てはーるから。  僕らみたいに直接話せない人にも、先生の声、心理カウンセラーの考え方や想い届けてあげて下さい。」

熱く語られた。

ワープロも使えない心理カウンセラー

「ワープロも使いこなせない者が、パソコン、ホームページにブログなんて」と、拒否し続けた。

しかし、TACにパソコンを寄贈してくれた、今となっては恩人の頼みである。

とりあえず、始めてみるだけやで、とどうにか重い腰を上げたんだったなぁと、多少の少 感傷に感傷に浸る時間、持てた。

源氏名、アフロスとして出発した心理カウンセラー乾の日記、最終2018年2月16日で終わっている。

13年にわたり、283本書いていた。   多いのか、少ないのか分からないが、私にとっては「あぁ、そんなに書いていたんだ」と思っている。

そして、今

夏の終わりに自身の一部の棚卸し。

もっと実践的なもの、役に立つもの、今困っている方の ”気づき” になってくれるような物を書いていく方が、コロナ、コロナで不安に駆られている人の心に届くのではないか、日々のニュースを耳にし、目にし、感じた事である。

よし、これから、今からは、「心理カウンセラーとしてのブログ、カウンセリングに焦点を当てたブログ」に重きを課していこうと、逃げたい気持ちを同居させながら、今 文字を眺めている。

で、何を書けばよい?

で、で、、何を書こう、か、、。

心理カウンセラーとして、カウンセラーらしきメッセージとなるもの、、。

初回・・・、やはり これを取り上げよう。

《子育てに悩む母》

主訴: 小3男児

   ・ 最近 反抗が強く言う事を聞かない・約束を守らない

   ・ ゲームを止めさせたい

   ・ 夜9時には寝させたい

理由: ・ ゲームのし過ぎで脳に異常をきたすのではないか

   ・ 子供は早く寝るべき(体調管理の為にも)

希望: ・ 夜9時までに宿題・入浴・ゲームを終え、9時には寝てほしい

上記、今扱っている案件である。

母は、つくづく精神を消耗する仕事だと思う。

何が正解か、正しいか、絶対的に正しい答え、あるのかと模索し続ける日々が繰り返される。

母業の練習期間無く、いきなり問題を解かされる。

この流れ、行方は何処に向かうと、母の肩の荷 少しはラクになるのか。

それは、「心理カウンセラー・乾のブログ」、2回目に譲るとしよう。

心理カウンセラー・乾の本音ブログ 第2回

第1回 心理カウンセラー・乾の本音ブログで、「子育てに悩む母」を取り上げ追っていく事にした。

小3男児・反抗、ゲームばかり、夜9時に寝させたい との訴えである。

続きをじっくり考えていきたい。

「何が」問題なのか、「何をどうする事」が解決になるのか。

彼女(母)が望めば望むほど、「お母さん、鬱陶しい!! うるさい!!」と言ってくる。

心理カウンセラーとして、彼女を見てきた。

母として

決して口うるさく支配的に物を言う人ではない。  長く小言を言い続ける人でもない。

「お母さんはこう思うけど○○はどうしたい?」と、判断を委ねる形をここ最近はとっている。

にも関らず、反抗され、いとも簡単に約束を破られる。

心理カウンセラーの耳で彼女の話を聴いてきた。

今回も、起こっている現象に対する伝え方、答え方に彼女のクセが出でいる。

掘り下げて聞いていく。

矛盾と向き合う

「その所、もう少し詳しく聞かせて。  どういう言い方をしはーったの?」

質問に対しての答え、まず説明から入る。 彼女の脳で回想されている場面を話してくれる事が多い。

質問に答えていない。

矛盾に対峙してもらおう。   心理カウンセラーとしての判断である。

「私が今何を聞いたか思い出せる?  言ってみて」

無言・沈黙が続く。

心理カウンセラーとしても、試されている時間である。

一言、ここで何かを言うと話は進む。  瞬間彼女はラクになる。

しかし、新たな沈黙はすぐにやって来る。

彼女自身が答えを見いだせないまま次に進む事は、”同じ事の繰り返し”という苗木を成長させるだけにすぎない。

が、長過ぎる沈黙に今の彼女が耐えられそうもないと判断した時は、言葉を添える事にしている。

「心の崩壊」は避けなければならない。

ようよう、重い口を開いてくれる。

「すみません、覚えていません。 どう話そう、その事ばかり考えていました」

例えば

具体的に表記してみよう。 例を作ってみる。

心理カウンセラー・乾: 「お昼ご飯は作って出かけたの?」

彼女: 「作る予定だったんですけど、他の事をしていたら時間なくなってしまって、子供  にお昼何か買ってそれ食べる?って聞いたら、それでいいって言ってくれたんです。」

質問に対する答えが、こういう形である事が多い。

作った 作っていない、のどちらかでしかない答えに状況説明で答えてくる。

それは、彼女だけではなく、多くのクライエントの方達がそうである。

心理カウンセラーになる前の私もそうであった。

ある女性心理カウンセラーに、「質問に答えて下さい。 説明を今訊いていません」ビシッと言われた。 余計な事を言っている。

何故 ズレるのか

何故、ズレた答えを言ってしまうのか。

過去の症例、自身のカウンセリング経験を洗い直し気がついた。

“自分を守ろうとしている時” 

その答えが、自分に都合の悪い時、評価が下がるのではないか、ダメだと思われないか、そのような時に聞かれた事の答えになっていない返答をしているのだと。

彼女が息子に聞いた事

「9時までは何をやってもいいし、ゲームも好きなだけしたらいいけど、9時過ぎたら寝てほしいと思っているけど、○○はどう思う? どうしたい?」  

息子、「うん、そうする」

おいおい、それは誘導だろ。 彼の自由意志、尊重するんじゃなかったのか?

「自由にしていい」の、彼女の自由は、塀の中でなら何をしてもいい、塀の外は許さない、という限定付きのもの。 それは、自由なのか、自由とはどういうことなのか、時間をかけて話し合う。

限定付きの中で、行動してくれる事は、彼女にとって都合の良い事、彼女の安心感を満たすだけだったのだと気づかれたようだ。

気づかれ「あぁ、そうだったんだ」と思われたら すぐ行動に移されるのが彼女のステキな所である。

今、息子は10時〜10時半位まで起きてゲームを楽しんでいる。

寝なさいと言われない、その開放感を楽しんでいる。

ただ、夜自由な分、朝は何があっても起きる時間を決め、守るならば、夜遅くまで起きていてもいい、という歩み寄り、合意のもとである。

眠いだろうが、決めた事、息子は 今のところ起きているようである。

「責任をとる、約束は守る」何故、彼女はそこに固執するのか。

それは、「社会に適応する能力を身につけて欲しい」から来ていた。

いずれ、社会に出、社会人として生活するうえで人との関係性が重要になってくる。

その時に重要なもの、信用ではないかと。

自分の言った事とやっている事が一致していて信用は得られる、その練習を今から積んで欲しい。

故に朝だけは夜どれだけ遅くなっても、起きるという行動習慣の訓練の場として使えると。

しかし、まだ11時を過ぎると、不安になり、もういい加減寝てくれてもという気持ちも同居されているようだが。

息子の問題を通して、彼女自身が意識されていない領域、一般的には 「常識」と言われているもの、彼女の矛盾に対峙する事にもなった。

息子は、すぐに約束を破るかもしれない、口は達者で言い負かしてくるかもしれない。

その時に揺らぐ事に時間を割くのではなく、今、この環境で何が出来るのか、使える資源は何があるのか、そして、その答えは常識に囚われていないか、それらを考え抜く事が今後の彼女の課題になるのかもしれない。

【あくまでも】

これは、心理カウンセラー・乾としてのカウンセリングの進め方である。

カウンセリングに「正解」というものがあるのか、今もって分からない若輩者ではあるが、心理カウンセラーとして、願う事、それは「今よりラクになってもらいたい」

そこは、今後も変わらず焦点を当てていく事であろう。

その為にも、私自身、常識に囚われていないか、無意識に 当たり前 という言葉に操られていないか、俯瞰して観る自分を育てたくある。

次回の 心理カウンセラー・乾の本音ブログ も楽しみにして頂ければ とても嬉しいと、本音を呟き第2回、〆させて頂く事にしよう。

心理カウンセラー・乾の本音ブログ 第3回

[心理カウンセラーの選び方]

何を書こうか、タイトルだけは決まっていた。  しかし、なかなかまとまらず、書きたい気持ちだけが走馬灯のようにグルグル回っていた。

心理カウンセラー、どうやって選べばいいのか、選ぶ基準は?、、、。

原点に戻り、調べなおしてみた。  

(要注意 心理カウンセラー)

① 解釈型・・・過去に原因があると決めつけ、過去の出来事に拘り解釈ばかりする

② 万能勘違い型・・・自分が全て治せると信じ込んでいる

③ 医者敵対視型

④ 人格に問題あり型・・・自己愛強く、言う事を聞かない相手に対してヒステリィックになる 問題をこじらせてしまう事が多い

⑤ お坊ちゃま・お嬢ちゃま型・・・人生経験浅く、苦労知らず

⑥ テスター型・・・心理テストが大好きで、その結果でしか判断しない

⑦ 文献学者型・・・学問的な事にうるさい

          博学であるが、適切な治療が出来ない事もある

⑧ 密着型・・・決まった場所でしか行わず、融通が利かない

⑨ テクニック型・・・自分の技法を一番だと信じ、それしか対応しない

⑩ 熱血型・・・熱心過ぎて、クライエント(相談者)が追い込まれてしまう事あり

うーん、確かに。  自身も心理カウンセラーにかかる時、そのどれもが嫌だなぁと納得出来る。  これ、30年以上前の資料であるが、今も頷ける。

当時、心理カウンセラーなるもの、さほど種類多くなかった。

時、令和に代わり、「心理カウンセラー」検索してみると、もうびっくりする位多い。

スピリチュアル・ヒーラー・リィーデイング・○○セラピスト・そこに音楽や占いも足されたりしている。  ハァ〜とため息の世界。  

どれを、誰を選べばいいのか、探すだけで心理エネルギー消耗してしまいそうである。

私の頼りない経験上、②番、⑨番の方、多く出会ったように思う。

成功事例として自慢話や、自分の仕事の事ばかり話されていた。 そう、嬉々として語られ聞いている方は食傷気味になる。

駆け出しの頃の自分を見ているようである。  きっと引かれていたんだろうな。

心理カウンセラーのホームページ、今や百花繚乱、多い事、多い事。

[心理カウンセラーの選び方]

選ぶ目安となるもの、

・ 相談者の体験談、感想

・ 心理カウンセラーの年数、経歴

・ 心理カウンセラーの自己紹介、どんな相談内容に強いのか、自信があるのか  等、

自分が、経験したから この仕事を選んだ、なので これからは同じ事で苦しんでいる方の力になりたい、そういう方が多い。

鬱であった、親から虐待を受けていた、引きこもりだった、結婚、離婚で苦しんだ、自分に自信がない、生きていると大小あれど、しんどい事だらけである。  乗り越えてきた体験談を載せている方も多い。  検索者は、そこに共感する部分大いにあるだろう。

同じ事で悩み、乗り越えられた心理カウンセラーなら、今の自分の気持ち、きっとわかってくれるだろうと。

「大袈裟に書いてある所は信用せーへん方がいいな」

知人のゲシュタルト療法(心理療法)の専門家の意見である。

今は、その意見がよく分かるが、全くの素人の状態時、何が大袈裟なのか判断しようがない。

むしろ、大袈裟に書かれている方がも力のある心理カウンセラーだと思ってしまいやすい。

体験談など、魔法の言葉である。

心理カウンセラーの動画

動画、SNS?

私は文明に弱いので、よく分からないが、今 簡単に動画で心理カウンセラーを見る事が出来る。 それぞれの持ち味や考え方、カウンセリング事例など発信されている。

そのあたりから、判断してね、と伝えるしかない。

自分に合う心理カウンセラーが、他の人に合うとも限らない。

私が、今相談をするとしたら、、

やはり、電話での問い合わせだな。

メールで受け付けているところも多いが、声の感じや、話をどんな風に聞いてくれるか、事務的に説明が始まるのか、直感に頼りたく思う。

それで、リモートとかではなく、対面で心理カウンセリングを受けたいと思う。

ちょっとの勇気や、面倒くささはあるが。

まずは、電話での問い合わせからだろうか。

やはり。

  

心理カウンセラー・乾の本音ブログ 第4回

【死んでしまいたいほど辛い貴女へ】

もう、疲れ切ってしまった。

何もいい事がなかった。

誰にも必要とされていない。 誰も自分の存在に気づいていない。

もう、いい。

もう、生きるのに疲れ過ぎた。

最後のともし火、かろうじて消さず、今日一日ボロボロになった心。

それでも何とか家に辿り着き、今 泣き崩れている人、いるだろう。

泣く気力さえない程憔悴しきっている人もいるだろう。

何が貴女をそこまで追い詰めたのか、何が貴女をそんなに苦しめているのか私などに分かる由もない。

が、もしお一人でも、今この瞬間、この文字を目にして頂いているのなら、私ごときの心理カウンセラーのダラダラ想いに、ほんの少し付き合って頂ければと強く祈る気持ちで書かせてもらう。

で、何を書く?

本気で訴えるほどの何かをお前は持っているのか。 そんなものがあるのか。 自問しいている。

しかし、何か分からないまま、「何か」を書きたい気持ちになっている。

心理カウンセラーとして

多少なりとも相談を受けてきた。 心を痛めている人達の魂の声を、叫びを聴いてきた。

ならば、心理カウンセラーとして何かを書きたいのか。

いや、心理カウンセラーなど何も特別なものではない。

特別でも何でもない心理カウンセラーの巷に多々ある本を読んだとて、「何を分かったような事を」と思う程度である。

かつての自分がそうだった。

どうしようもなく しんどくハラが立って、ハラが立って何かをぶち壊してしまいたくて仕方なかった。

「何でこんなにしんどい想い せなアカンねん」

「何でこんな想いして生きなアカンねん」

生きてる自分に怒りを向け世間を憎み、それでも死ぬ勇気さえない自分が惨めで仕方なく、また自分にハラを立てる、そういう変化なき時間の中で生きていた。

流れ弾に当たって死ねればと、受け身的自殺を望んでいた。

死ねたらどんなにラクか。  「死」に憧れめいたものを感じながら根性なしの自分には自殺など畏れ多く、命を絶った勇者に淡い尊敬を抱いていた。

楽しいと感じる事もなく、感情もマヒしていたその頃、

「何があったか知らんけど、かわいそうな子やな」

「人を信じていない目をしてる、上部だけの笑いや」

真正面から直球を投げられた。  うっ、痛い、見抜かれた。

しかし、それが分ったこの人は、もっと凄いものを背負ってきたのだろう。

故に、同じ質だと簡単に見抜いたのだろう。

同じ頃 心理学を始めた

心理カウンセラー養成講座。 そこで分かった。

私が欲しかったものは「心理カウンセリングそのもの」だったのだと。

心のカラクリ、少し分かるだけでも何かが剝がれていく軽さがあった。 気持ちが少しラクになっていった。

「知らない」事がいかに残酷さをもたらす事につながるか、勿体ない生き方をしている事になるのか。

あれから30年以上の時が経ち、生意気ながら、心理カウンセラーを名乗っている。

心理カウンセラーの自分が

どれだけの役に立てているのか、年月が経つほど、「これでいいのか、これ以上のものはもうないのか」考えている時間が多くなっている。

昨年、今年とコロナに振り回され自粛・行動制限・旅行中止、大型施・娯楽施設の開催見送り。 飲食店、時間制限・閉店・アルコール、宴会中止。

不安を煽る報道。

出会いがない、触れ合いがない、コミュニケーションがとれない。

不安で仕方ない。  自殺が多いと聞く。

誰ともつながっていない

自分の存在に誰も気づいていない。

死にゆく寸前の心、冷え切って何にも心が動かなくなってしまっているかもしれない。

人間関係に傷つき、ボロボロにっている。 そんな方の相談が多い。

孤独を感じ、痛みを抱え、いい事がなかった、いい出会いがなかった、と。

しかし、と思う、このところ、かなり強く思う。

「出会い」の対象は人でないとダメなのか、人以外のものに「出会い」を求められないものなのか。

人以外のものを探し、それに辿り着くまでの作業をしてみてもいいのではないかと。

行き着いた自分に、今一度、全エネルギーをぶち込んでもいいのではないかと。

私は今思う

首を吊る・飛び降りる・薬を飲む・飛び込む・手首を切る

その前に、最後に口にしたもの、内臓に入れたもの、それが生まれた所を探し出しに行ってもらいたい。

最後に飲み込んだもの。

それは、紛れもなく命を維持させるための消化活動を行っている。

貴女の想いがどうであろうと、生きるための活動を貴女の体内で行っている。

最後ぐらい、その矛盾の原点の旅に出てもいいんじゃないか。

感情と臓器の矛盾。

これ程 見事ともいえる不一致の現象、放っておくのは勿体なくないか。

願わくば、それが農産物であってほしい。

「米」であってもらいたい。

最後に口に入れた米に出会う旅を、人生の最後の体験として加えてもらいたい。

生産者を調べ、その人に逢いに行ってもらいたい。

「人生の最後に口にした物が、ここで作られたお米だったんです。 そのお米が生まれた所に会いたくなって来ました」と、生産者の方に告げてもらいたい。

なんや、なんや、この人!! 何言い出すんや

ビックリされるだろう。 気持ち悪がられるかもしれない。

そもそも、「死んでしまいたい」その情念事態、通常の心ではないのだから、どう思われようといいではないか。

そこを気にする位なら、まだ人を気にかけている「ゆとり」ある自分にも気づけるんじゃないか。

最後療法

私が米の生産者なら、今この瞬間まで出会う事の無かった見ず知らずの人、おそらく一生出会う事もなかったであろう、その人が最後に選んでくれた、食べてくれたのが自分が作った米、その事実に言葉になんか出来ない、ならないほどの何かをもらうだろう。

確実に自分の感情を揺さぶられるだろう。

そして言うだろう。

「おにぎり、食べていかへん?」

それから逝っても決して遅くはないと思うのだが。

「最後療法」として

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こんな症状でお悩みではありませんか?

  • 朝、スッキリ起きれない・身体が重い、だるい
  • 肩がこる・腰が痛い、腰が重い・首コリ、首の痛み
  • 目の乾き・目の疲れ
  • 頭痛、頭重感
  • ストレスでやたら甘いものを食べてしまう 等

原因として、運動不足や睡眠不足といった日頃の生活習慣から来るもの。

そして、「心のしんどさは身体のしんどさ」のつながります。

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せめて、後5分このままで、、。

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なので、5分間 まどろんで下さいね。

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〇お電話にてご予約承ります
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〇女性限定:毎週 2名様 (お一人様 1回限り、ご来所頂ける方)

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※電話に出られない事があります。その時は、折り返し電話させて頂きます。

※折り返し電話番号・・・06-6809-6843 または090-5090-6498でさせて頂きます。

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女性は物語りを生きている

女性の数だけ物語りがある。

お一人、お一人 違った人生の物語りを生きている。

「とにかく今は生き抜かなければならない」、そんな想いで自分の事は後回し、家族を支えるのに必死な方がいらっしゃる。

カウンセリングをしていると、「疲れるだろうなぁ、カウンセリングで少しでもラクになってもらえれば」、そう感じずにはいられない。

心理カウンセラーとして、何が出来るのか、常に自問自答している。

私が、もしカウンセリングを受けるなら、今の自分を選ぶか、それを問い続ける日々である。

「他の誰でもない、今のこの自分にしか響かない一言が欲しい」

「ハッとし、ガツンと見方が変わるような、そんな言葉が欲しい」

それに応えられるよう、肝に銘じるよう、時にカウンセリングを超えたカウンセリングを行う事もある。

特に40代・50代の女性は

思春期から死を迎えるその日まで、同じ女性といえど、生涯一人・結婚・離婚・子供の有無・思いがけない死別・事業経営等、全く違う時間を生きていらっしゃいます。

特に、40代・50代の女性は、「もう若くない、でも このまま年を取っていくだけの人生はイヤ。 何かを変えたい、変わりたい」という焦りのようなものを日々の生活の背後に抱いていらっしゃいます。

加えて、家族の介護でクタクタの方が多いのも現状です。

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消えた行列

いつの間にか行列が消えていた。  人気の折には70人を超した日もあった。  少ない時でも30人は並んでいた。

「行列」 何故も こんなに社会を見せてくれるのだろう。 人の関心、行列という形で その心が見える。  執着や移ろいやすさ、ある意味 「流行り」になるよう仕掛け人がいるのではないか。

良いも悪いも、”熱しやすく冷めやすい” 人の心理をたっぷり見せてもらった。

「PCR検査センター」と表された行列の源、2021年・2月半ばに大阪、北新地の通りに誕生した。

当初、チラッと見る、もしくはスタッフに質問する程度で検査を受けている人はいなかった。(あくまでも、私が目にしていた範囲では)   スタッフの数の方が多く道行く人に呼びかけをしていた。  テレビ等でPCR検査を、と耳にしない日が無いほどの騒がれ方なのに、これはどうした事か。

一心理カウンセラーとして考えてみた。

まずは、”怪しさ”といったところか。

突然 誕生した。 医師の紹介や事前予告もなされていなかった。  多分、人の多くはPCR検査は病院で、又は保健所で専門家のもとで受けるもの、という認識だったのではないだろうか。  私も、そう思っていた。

次に、スタッフは大丈夫なのか。   医師なのか、看護師なのか、どの程度の専門家なのか分からない。

研修を受け、その通り手順を踏んでいるだけのアルバイトかもしれない。

そして、受けている人が見当たらない。   ここ、結構 重要なのではないか。  未知のもの、それが命に係わる事なら、誰か他に先に受けていてくれたら、どんなものか、何となく様子が分かる、安心する。  人と同じだと安心出来るという日本人の特徴とされているもの、と言えようか。

しかし、面白いもので、そのセンターが日常の景色として定着するようになると、二人、三人と人が受けだした。   その人達が ”サクラ” と言われるセンター側が用意したものなのかは分からないが。  

安心を誘ったのか、人が増え出し、日に日に多くなり30人を下る日はあまり無かったのではないか。 朝の行列が、日々の日常になった。

勤め人達、会社に遅れるんじゃないのか、会社が要求している事なのか、検査を受けるのなら、遅刻は容認されているのか。

当初、夜まで開いていたセンター、そうなると、今日の検査は終了しましたと、昼過ぎには閉めていた。  受けに来たのに、とアテが外れ帰って行く人も結構いた。

それだけ、大盛況だったPCR検査、その現場から人が幻のように人が消えてしまった。

今、一人か二人、全く誰もいない時間もある。

何故? なのか考えてみた。

そうか、「ワクチン」か!!

ワクチンが広まってきた頃と重なる。  ワクチン、ワクチンとこぞってメディアが煽っていた。 今も、ワクチン接種を、と義務ではないにせよ、専門家達や政府も勧めている。

高齢者の感染者数が減って来たのも、ワクチン接種しているからだと。

分かりやすい現象、と言えるのではないか。

しかし、しかしである、思うに、そんなにすぐに信じていいのだろうか、飛びつくのは危険じゃないか、大丈夫なのか。

ワクチンが全てを解決するのだろうか。

ワクチンについて、どれだけ調べたのか、成分は?  身体に異物を入れる、その危険性は どんなものなのか、政府が言うから、ワイドショー等で解決するような情報を流しているから、ワクチンが足りないと、煽らされているからなのか。

早く打たないとと、焦っている人達が多いように見える。

自分の身体、命がかかっている。

それを情報に依存していいのだろうか。

マスクが義務のようになってきた時、不思議に思っていた。

マスクをしていない者を、まるで犯罪者を見るような冷たい目。

「マスクせーや!!  あほんだら!!」と、自転車ですれ違う老人の男性に怒鳴りつけられた。

人生、精神的に熟成しても良い年齢の者の稚拙な、暴力的な言語表現。  呆気にとられた。

が、マスクをつけるに相応しい生き方をしている人がどれだけいるのだろう。

日々、充実し、満足し人生を味わっている、何かを生み出し、楽しみ豊かな時間を愛おしんでいる、そんな人、どれだけいるだろう。

退屈だと愚痴り、文句を言い、人を妬み、何か面白い事はないかと、安易なもので発散させている、ネットサーフィン・ゲーム・買い物・テレビ、身近なもので時間を過ごしていないだろうか。

退屈で、同じ事の繰り返し、飽きた毎日に「何かないのか」と刺激を待っているような日常なら、そこまで ”生”に執着する必要があるのだろうか。

マスクをつけるに相応しい、愛おしい時間を味わっている人、どれだけいるのだろう。

故に、私はマスクをかなりの期間、つけなかった。

マスクに申し訳ないような気がしていた。

「人に移したら悪いから」とよく聞く。

反感を承知で正直に記そう。

私を含め、大抵が「その他 大勢の一人」、何も特別な事をしていない。

別に”選ばれた人” ではない。

自分と同じような存在が消えたところで何も社会に痛みはない。

近親者が悲しむ、という現実を除いては。

さすれば、今一度、”生” なるものを見つめなおす時期に来ているのではないか。

自分の時間、もっと、色々なものを味わい感じ、考え、過ぎていくだけの時間に埋没してしまわないよう、マスクをつけるに相応しい手応えのある自分でいてほしい。

つらつらと記しながら、一番自分に痛く刺さっている。

分かっている。

自身の無力感に、どう抗えば勝ち得るのか、常時、その事ばかり、閃き が未だ降りてこず怒りを自分に向けている。

八つ当たり的に、世間人を見つめている、そんな自分の小ささ、浅はかさを恥じてもいる。

その己を「フッ、若いなぁ」と、もう一人の自分が笑って背中を撫でに来てくれたりもする。

今も、隣で記している文章を 「ふぅん」と言いながら眺めている気がする。