時代を違えた男・N 享年37 ②

ある時N宅にA子が訪ねて来た。

「ご主人と別れて」   嫁、青天の霹靂。   すぐNに連絡。

N、即行家に戻り、

「お前みたいな者、オレの嫁に会うの10年早いわ!!  帰れ、何勘違いしとんねん!!」   一喝。

淡い期待を抱いていたA子の夢は打ち砕かれた。

まあ、その後夫婦喧嘩になったのは当たり前で、以降嫁はNが常時女遊びをしている、現実と向き合うようになった。

Nにしては珍しい抜かりである。

「期待させるような事、言わはーったんですか?」

「そら、可愛い 位は言うで   まあ可哀そうやったけどな  けどそう言わんとアカンやろ」   Nの女遊び、博打、酒はその後も絶好調、逝くまで止む事はなかった。

父の死

父、過労・不摂生・酒暴飲から肝硬変に。  54歳で人生の幕を閉じた。

当時24歳の私からすれば、まだ若い死ではあったが、若過ぎる死という感覚はなくやり手の男は その頃50代、60代で逝くのが一般的であろう位に思っていた。

今、父の享年を遥かに上回った身としては、何て若過ぎたんだろう、と思うが。

肝硬変と医者から言われた時点で、"昭和の時代の男・あるある"、 既に手遅れ入退院の繰り返し。

見る見る弱っていく父を見るのは辛かっただろう、N 何度も病院に足を運んだ。

仕事の事も父の指示を仰ぎたかっただろう、病室で話を詰めていた。

向こうの世界から使者が父を迎えに来ようとした日、N、病室の扉を開け異様さを察知、父に近付こうとしたが 義兄許さず、姉に断りを告げさせた。

家族同然だと自覚のあったN、締め出しを食わされ一瞬怪訝な顔になったが、すぐ病室から立ち去った。

その後まもなく父は使者に連れられて行った。

Nの塞ぎ様は誰の想像も超え、一週間部屋に閉じ籠り誰とも会わず絶叫に近い泣き声を上げ、このまま死んでしまうのではないか、父のもとに行くのではないかと、家族を心配させ疲労困憊させた。

社会にとっては父の死など1つの事象にすぎなく、やり残した仕事は そのまま残っており、銀行・業者・関係者からすれば現場を止める事は許されず、日々 清算・請求を求められる日々。

してもいない約束をでっち上げ「おやっさんから、こんだけ手数料もらう話になっててん」といった輩がしつこい程近づいて来た。

まだ死ぬつもりがなかったせいか、父から詳しい引継ぎもなく、姉がそれらの窓口に立ちストレスに晒され疲れ切っていた。

N・復帰

そんな話、Nの耳にも入ったのだろう。

「あの子達を守ったらなアカン、オヤジ それが一番心配やろ」と事務所に顔を出すようになった。

姉や私、営業(これが又腰重く、話ばかり延々と、自分がこれだけやってるのに全然オヤジから金もらっていない、等と吹聴していた)の前では一切の寂しさを見せず、父の事にも触れず、

「今どうなってんねん、どの物件がどうなってんねん、見せてみ」と、姉と日々現場や物件の整理をどうするか、話し合いの時間を作っていた。

私の方は、貸金業の整理を優先させる事に集中し、回収に回れるだけ回った。

タチの悪い客の自宅に回収時、N見本見せたるわ、と付き合ってくれた。

本人おらず、まだ30前位の若い嫁が玄関で応対。

なんとまぁ、お人形さんのように可愛い女性。 アイドルに勝るとも劣らない。

何故かヤクザもんの嫁は美女が多い。

ハクがつくというのか、それで価値が上がるのだろう。

N、「お宅のご主人、金借りたまま返さへんから返してもらいに来てん。 ご主人どこ?」  「帰って来るまで待たせてもらってもええねんで」

「私 何も分からなくて。  私 今お腹大きいので」と、突然の事に話がかみ合わなく「ほな、ご主人に言うといて、金返しに来るように」

帰り、「可愛い嫁さんやな、あの嫁さんやったら働いてもらえるで」 もちろん"風俗"である。

事務所に戻り、金融をどうするのか話し合っていると電話が。

「こらぁ!!  お前 何さらしとんのじゃぁ!!   家まで来やがって、ちょっと遅れた位で何 生意気な事さらしとんねん!!  嫁 腹大きいのにビックリさせやがって、 どうしてくれんねん!!」

「○○さん、連絡ないし、家に行くしかないでしょう。 返済守ってくれてはーったら、こんな事しなくてすむのに、開き直って脅すのおかしいですよ」

向こうにしてみれば、自分より年下の素人の女、脅せば済むと思ったのか、「お前ヤクザ連れて来たらしいな  どこのドイツや」

やり取り聞いていたN、「ちょっと変わろか」

「おぅ 行ったんオレや!!  何吼えてんねん  お前金借りて何ほったらかしにしてんねん!!  金返しに来い  今すぐ!!」

「おう、殺しに来いや今すぐ  待ってたるわ!!」

まあ、見事な脅しあい。  思いっきり受話器を叩きつけ

「な、眞澄ちゃん こうすんねんで   大丈夫や アイツよう来よらへん  遅れた分、何とかして持って来よるやろ」

Nさん、Nさん、私が脅しをかけたところで、男口調の怒鳴りあいには歯が立たない。

二日ほどして、相手方の代理という者が返済に来た。

持ちつ持たれつ、「これから 此処 オレの事務所に使わせてな」

自然にNの事務所番もするようになり、まだまだ携帯電話の無い時代、電話のやり取り。

Nの電話は、市民からの苦情や警察からの注意がやたら多く、伝えたところで「そんなもん ほっといたらええから」と全く相手にせず、そら恨みや怒りを買うよなと思わさざるを得なかった。

先見の目

事務所に常時居るN、世間は「あの姉妹、Nに回されよった(犯された)」と噂していたようである。   世間はヒマである。

N、決断早く一旦集中すると そのエネルギーたるや答えを出すまでそこからぶれない。   他の事は一切考えない。

仕事出来る者はこうなんだと、羨ましくもあった。

Nの車に同乗した時、中国語のカセットテープ、「何で中国?  英語じゃなく」聞くと、「眞澄ちゃん、これからは中国や。わざわざ習いに行かんでも車中で覚える事出来る、車 常に渋滞してるやろ、時間は有効に使わな」

40年前、既に中国・東南アジアに目をつけていた。

大袈裟に言えば、日本中 まだまだ米国進出しようとしていた時、私はN以外に中国に関心を寄せていた者には会わなかったような気がする、私の周りでは。

「眞澄ちゃん、法律は守るためにあるんと違うねん、利用するためにあるねん。  せやから どうやったら掻い潜れるか、そこを しっかり勉強せなアカンねん」

流石 判事を志していただけに法律、よく調べていた。

弁護士も、「弁護士の言いなりになってたらアカンねん。  こっちの言う通り動かさなアカンねん  その為の弁護士やで」   事実、弁護士にNのやり方、法律にギリギリ行けるようにとゴリ押しさせていた。

常に闘争モード。

疲れ切った時は、父の社長室で長ソファーで横になり、眠りについてた。

父に包まれていたかったのだろうか。  唯一のNの癒し、「ここに居る時だけが落ち着くわ」と口にしていた。

Nが眠りについて居る時は誰も声をかけず、誰も通さず そっとしておいた。

そんな姉や私達の気持ち、Nは十分理解していた。

家業整理 終結

父亡き後、Nの力を借り3年ほど、ようやく事業 整理出来た。

姉も家庭に戻る事が出来、私は心理学に出会いカウンセラーの勉強を始めた。

N、暫く個人で動いていたが、弟が世間に良いように持ち上げられ、大学を中退し不動産を始めた。

弟を気にかけ、弟と組むようになった。

フィリピンで仕事を始めようと計画を練り、フィリピン行きが実現。

弟はチケットが取れず、便をずらしていく事になっていた。

N、フィリピンに着くやいなや行方不明に。

誘拐され業務用ミンチ機にかけられた等と噂が広がり、弟達もフィリピンに探しに行ったが見つけられず。

7年ほど経ってミンダナオ島の山中で白骨化されて発見された。

フィリピンに到着後すぐに射殺され現金を奪われたとの事。

テレビでそのニュースが流れていた。

山の中で、白骨化されたNの骨が紙の包みに入れられる映像を見た時、余りの切なさに熱を出し寝込んでしまった。

Nさん、Nさん、こんなになってしまって、、、。

それでも、見つかってくれた、それだけでも救いだった。

N、生前姉に「Tちゃん、弟な、ちょっと痛い目にあわそかと思てんねん。  アイツ 不動産なめてる。  美味しいとこしか見てへん。  今はオレが守っているからええけど、調子乗り過ぎてる。   今のうちに怖い思いさせといた方がええと思う。  ちょっと人使って肋骨でも折らせたろかと思てる    それやってもええか? Tちゃん」

金目当てで、弟を嵌めようと近づいて来る輩ばかり、N、父の心残りである弟を気にかけてくれていた。

Nの言葉通りその後、弟を待ち構えていたのは"地獄" であった。

N、今の時代に生きていれば、どういう動きをしただろうか。

AI優先、人を凌駕し、不安に陥れる文明中心で動く社会。

しかし、Nには "今" の方が合っている気もする。

日本にシリコンバレーを作っているんじゃないか、と。

「オヤジ、眞澄ちゃん こんな事勝手に書いてますわ。  オレはずっとどんな時代でもオヤジと一緒やのになぁ」

と父と豪快に呑み笑っているんじゃないだろうか。     (完)

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