3.黒と白の狭間で・空海(くみ)

それは住宅地の中にあった。

民家でコンサートするのか。 珍しくないのかもしれないが、俺には新鮮だった。

駅から数分の距離にある建売住宅、電車を利用する者には、ありがたい近さである。

知らなければ通り過ぎているだろう。

玄関入ってすぐ左手に階段がある。 半間ほどの幅の階段を上がったリビング、生活感を体感させる。

その奥に生活感を払拭させるだけの白いグランドピアノ。

建売住宅には不釣り合いな、お伽の世界に一瞬で導かれる。

ロココスタイルだという。

その仕上げに、西洋のロマンを東洋に居ながら味わう事が出来る、贅沢な時間が確かにある。

空海は、これを弾くのか。

既に数人の女性が時を待っている。

“ごきげんよう” の雰囲気に、俺は居心地の悪さを多少なりとも感じ出した。

何故、クラシックを趣味にする者達には高尚感が付きまとうのだろう。

チラッと俺を見て、軽く微笑み会釈を。 その自然さに大人の女性の落ち着きを感じ、それ以上関心を向けてこない姿勢も気持ちの良いものと受け取れた。

階段を上がってくる足音。

胸の膨らみを強調した、ピンクのカクテルドレスをまとった お前が笑顔と共に皆の前を横切りピアノの前に立った。

「皆さま、ようこそ。」

「大阪は1年ぶりで、皆さま お元気でいらっしゃるかしら、飛行機の中で皆様を思い浮かべながら、再会を楽しみにして参りました。」

「私の大好きな大阪で、こうして又、元気でコンサートを出来ます事、本当に嬉しく思っております。 今日は皆様に少しでも楽しんで頂けますよう、心を込めて演奏させて頂くつもりでおります。」

挨拶をしている お前は春を運ぶような柔らかな笑み。

そこには朝の無表情な頑なさは微塵もなかった。

気持ち、切り替えられたのか、それとも、この小さな会場の温もりが、お前を安堵で支えるのか。

「では、お聞き下さいませ」

スッと椅子に腰かけ、距離を調整する。

軽く呼吸を整え、一旦目を閉じお前の動きは止まった。

意を決したように、目を開け

タタタターン・タタタターン、鍵盤をたたき出した。

これ、か?   お前は、これを弾きたかったのか?

壮大な広がっていく宇宙を感じる箇所もある。

音を消したような間、跳ねるようなリズム、なんだ、これ。

落ち着きのない、しかし続きを聴きたくなるようなこの曲、あっちこっちに飛び、あえて、まとまりから外れようとしている。

作曲家の情緒の不安定さを感じるのは、気のせいというやつか。

空海、お前は俺に何を伝えたい。

これは、お前の心だとでもいうのか。

「ありがとうございました。 チャイコフスキー、ピアノ協奏曲 第一番、お贈りさせて頂きました。   実は、これ、今回演奏する予定ではなかったのですが、こちらに来て何故か弾きたくなりまして、、、。」

妄想している間に演奏が終わり、お前の説明が始まっていた。

客達は、一言、一言の解説に都度頷き、自分の想いも其処に重ねているように見えた。

2〜3歩の距離、その近さでグランドピアノから送り出される ”生音” は、掌で音を躍らせ、握りしめる楽しさを教えてくれた。

出来うるなら、ボディソニックで全身音に包まれたい。

五臓六腑にドーンと響く重低音に酔いしれたい。

あの時の、オルゴールのように。

音の宴も、お開きとなった。

帰ろうとする俺を玄関まで見送り、「今日は ありがとうございました。」

「いや、こちらこそ世話になった」

「あのう、、、」

「変な人から身を守る方法って、何か ご存じないですか?」

「いや、知らない」

「しかし、怖いと思うなら、常にボールペン持っておくように」

「ボールペンですか?」

「危ない時は、ボールペンで相手の太ももを思いっきり突き刺すといい。 出来るなら、鼻を殴ってやれば痛さで何も出来ないだろう。 その間に逃げればいい」

そう言って、俺は空海に背を向けた。

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