5.黒と白の狭間で・空海(くみ)

「なぜプロになった?」

「ブルガリアから戻って、ピアノのが好きだったし、それ以外 考えられなかった。 学校の先生や色々な先生方も、プロになりなさいと言ってくれた。 ただ、母は趣味で続けるのはいいけれど、プロは安定しないからダメと反対だった。」

母の想い。  音楽家は保証されていない、娘にわざわざ苦労を背負わせたくなかったのだろう。 娘も きっと葛藤があったに違いない。

それでも恩師の言葉達が背中を押したのだろう。

骨格が古典向き、ベートーヴェン・ハイドンがいいと勧められたという。

なんだ、それ?

骨格がしっかりしている。  背筋力や腰の瞬発力を使った音の出し方が男性的らしいそうだ。

“ピアノは男の楽器” と聞いた事がある。 手が女よりも大きい、指がその分広げられると。 そういう事もあったのか、筋肉量では女は確かに男に劣る。

まあ、俺からすれば、男、女どちらでもピアノを弾いている姿は優雅に見える。

それでも、ロマン派以降は指が動けば大丈夫になったとか。

ピアノが女を受け入れた、という事か。

因みに、空海(くみ)の骨格は父親譲り。 出来ない事を自分が庇って認めてくれる、好きにさせてくれた親だった。 それが空海にとっての事実であり、真実の父の姿であるなら、そこを越せる相手には なかなか出会えないんじゃないのか。

なで肩は母親譲り。  母は厳しく、出来ない事を叱る、出来ない事に焦点を合わせる女性だったのだろう。

負けず嫌いは両親から貰った。

“負けず嫌い” か。

一体、何に勝って何に負けているんだろう、(人生) なんて。

空海、今 お前は何に勝ち、何に負けようとしているんだ。

お前は、俺に歴史を語ってくれた。

それは、ほんの一瞬の「時」を絞り出したにすぎないものなんだろうが。

今、お前は何に迷っている。   何に怒りを感じている。

ベートーヴェン、弾いていると難しいがホッとする。

それは、お前にさえ気付いていない、お前の人生をそこに重ねているのではないか。

チャリティーコンサート活動も10年になるという。   簡単なものではなかっただろう。

自身も被災者である。

文明の恩恵に預かる日常の日々が瞬間に奪われ、人の無力さ・弱さに打ちひしがれただろう。

あまりにも惨い形で無理やり天に戻された命の絶叫、お前は その目で耳で感じていたのだろう。

10年前に開始された鎮魂行脚。

もう いい、辞めたい、辞めてしまおう、多々その想いと戦ってきたんじゃないのか。

続ける事に値打ちがある・・・・簡単に使われる台詞である。

続ける事を止めない、ずっと続け続けている者は、「値打ち」等という台詞を吐くのだろうか。

お前を続けさせ続けたものは何だったのか。

お前の支えになったものは何だったのか。

俺は ”霊性” 等というもの、持ち合わせていない。

しかし、お前の 「カノン」 に初めて触れた時、鳥肌が立った。

全身 寒さに覆われ異様な冷たさが入って来た。

今なら分かる。  被災者達の御霊が聴きに来ていたんだと。

2011年3月、行脚に区切りをつけるという。

俺は思う、やり終えた時、残るのは「疲労」だけでは決してない、と。

同時に、”転” の始まりになるだろうと。

人生、起承転結に於ける ”転” になると。

今迄のものを一度転がしてみるのも、いいんじゃないか。

混ざり合わない音の共鳴、新しい振動を空海のピアノで聴いてみたい。

黒と白の狭間を自由に行き来し、哀しみさえ凌駕してしまう、そんな音色を届けてもらいたい。

今からの空海に、俺はそれを求めている。

いい迷惑だろうか。

寒くなってきた。

雪が降りだすのだろうか。

俺は、今からお前と出逢った川に座りに行くとしよう。

俺の原点を眺めるためにも。     (完)

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