5月の半ば、ある親子の会話に思わず振り返っていた。
保育園、年長位の男の子とその弟クンをつれてお母さんが歩いていた。
「ねえねえ、お母さん、白いお花が一杯落ちているよ、きれいだねー」とお兄ちゃん。
「きれいねー」とお母さん。
その微笑ましい優しい会話に。
地面に落ちている花を見過ごすことなく、綺麗ねと言える男の子。
それを受け止め、綺麗ねと返すお母さん。 普段から、このお母さんは、きっと綺麗ねー、楽しいねー、と話しかけてあげているんじゃないだろうか。 そうでないと、落ちている花びらに目を向ける事は、そんなにないんじゃないだろうか。
この感性、男の人はいつから手放してしまうのだろう。
大の男が、そんな事こっぱずかしくて、口に出せるか、なんだろうか。
やらなければならない事、時間、仕事に追われていると、そんなところに目を向けていられないのかもしれない。
しかし、綺麗なものに魅入られ、一瞬でも時間を止め俗世間から気持ちを外す時間、育み続けてもらいたいと思う。例え、いくつになろうとも。
いやいや、僕は今も持ち続けているよ、そうおっしゃる方もいるだろう。 しかし、女性より男性の方が少ない気がする。
親子に話を戻そう。
この弟クン。
弟は、良いにつけ悪いにつけ上を見ている。 言葉を聞いている。
綺麗なものを見て綺麗と言えるお兄ちゃん、綺麗ねと返すお母さんのもとに生まれただけで「運がいい」と言えるのかもしれない。
痛ましい事件が多い昨今、こんな優しい会話に出会えた私も「運がいい」かな。
5月の終わり、お日様がきらめく昼下がり、これを書いている、今・この瞬間、間違いなく私の心は平穏である。