T社長の話・⑥

社長にハンドルを握ってもらい向かった先、山手にある「はや山荘」

夜景がきれいな山荘である。

経営者と社長が知人で、工場からも近いし、という事でそこはどうかと下見に行く事になった。  連絡 既に済んでいたようで着くとすぐに「はやみ氏(経営者)」が応対してくれた。

社長が教えてくれた。  みを削って人様に尽くす、そこから 「はや山荘」と名付けたのだと。

話が済み、「よっしゃ、次はホテルに行こうか」

おっと、いけない。  目的をまだ記していなかった。

“忘年会をしたい”

工場が出来て、まだ一度も催された事がないと聞いた。

せっかく、みんなの気持ちが1つになったんだから、社長とみんながもっと仲良くなってもらいたい。  新地のお姉ちゃんばっかり相手せんと、パートさん達ともっとお話して下さい。

何 言うてるんや、乾クン。   社長、照れていたが、決めたら早い。 そして、忘年会の会場探しの流れになった。

しかし、いくら取引先とはいえ、ホテルはちょっと大袈裟過ぎないか。

皆からも、「わざわざホテルまで行くのはなぁ」と、音声多重で聞こえてきそうである。  私もそんなに仕事時間抜けていられない。  一旦 帰る事に。

私を工場に降ろし、社長は本社に戻った。

「何してたんや?」 興味津々の先輩方。 

実は、あーで、こーで。

「いやぁ〜、そんなホテルなんて大層な。 そんな高いとこ よう行かへんわ。地元の居酒屋でいいねん、アンタから社長に言うといて。」

だよなぁ、これが家庭守る慎ましい主婦の感覚だよなぁ、だからこそ、お母様方は素晴らしい!

そんなこんなで当日 決まったお店。  パートさんがちょこちょこ使うお店らしく、田舎の居酒屋そのもの。   社長も、えらい村の中にあるのぅと、新鮮な驚き。

二階のお座敷貸し切り。 飲み放題、食べ物も 食べ放題に近いぐらい出てくる、出てくる。  予算は確か一人4千円位だったと記憶している。 社長が半分負担してくれる約束で。

パートさん達、最初は緊張で挨拶も硬くえらい形式ばったものだった。

まぁ、そうだろう。 雲の上の存在だった社長。 工場に来ては、怖い顔で怒鳴る事が多かった。    

それが、今 目の前で、ニコニコ、「まあ、まあ」と一人一人に注いでくれている。

「皆、ようやってくれて ありがとう」とのお言葉添えで。

畏まって受けているのは最初のうちだけで、酒が入ると中年女性は強い。 

社長を囲み、皆さま聞き放題、喋る 喋る。  「なぁ、社長 云々」

社長も素人さん相手にホスト業務、大忙し。

デュエット・ソロ、カラオケも待ったなし。   予約が入りきらない。

笑顔の花が咲き乱れ、それは今も目に浮かぶ。  いい時間だったなぁ。

楽しい時間はすぐに過ぎる。   いつの間にやら、お開きの時が。

会計を済まそうと代表の先輩が支払いに。  社長、既に済ませてくれていた。

みんな、キャー、キャー。   社長、人生でこんなに純粋に喜ばれた事、あったろうか。  素人さんの無邪気さ・かわいらしさ、特と身に染みた事だろう。

お名残り惜しいです、という事で、二次会 カラオケに決定。  残る人、帰る人 二手に分かれて別行動。   カラオケも社長がプレゼントしてくれたらしい。

「アンタ、何で来なかったん?  社長 面白かったでー」

いやいや、ワタクシ、司会業・カラオケ係と精魂尽き果てておりました。

よって、少し 息抜きしたい、その気持ちを優先させてもらいました。 

ただ、社長だけは知っていた。  私個人の二次会、この後用意されていた事を。

T社長の話・⑦

T社長の話、記してきた。

もう既に疑問を感じの方もいらっしゃるだろう。

何でパートばっかり?  職人さんはどうなってるの?と。

おっしゃる通り。 

私が勤めていた工場、辞めたY氏以外 社員さんは全て職人さんである。

彼らにとって社長は苦手な存在らしく、あまりお近づきになりたくないようだ。

社長は社長なりに気を使っていたみたいだが。

イベントで職人さんと出かける時は食事に誘ったり、希望する者には会社負担でフランスに修行に出したり、そんな形で労ってきたようだ。

しかし、日頃会話の交流がないと、受ける側には なかなか伝わらないのも現実なのだろう。  加えて、「職人気質」というものであろうか、群れたがらない。

で、「パートだけ」という形になった。

しかし、なあ、、、。   何でもそうかもしれない。

今から話す事も、どこにでもあるような事だろう。

いつしか私が特別扱いされていると見られ、それは 瞬く間に当たり前の事象になった。

ハッキリ口にする若い職人さんもいた。  「そら乾さん、社長の愛人やもん」

社長は気づいていないが、工場訪れた時 パート・職人の間を ”うん、うん” と頷きながら見て回り、私の所に来ると、肩に手をかけニッコリ 「乾クン、頼むで」

社長、アカンそんな事したら,誤解招く。

皆、じーっと見てるし。   ほら、やっぱり出たやん、愛人説。

構へん、言いたい奴には言わせておけ。 乾クン、どれだけ助けてくれてん。 俺、あの時 会社もうアカン、正直に思った。   乾クン一人やないか、会社の事思って頑張ってくれたん。

こんな片田舎に工場作った時、恐ろしいほど開けてないのうと馬鹿にしてたけど、こんなレンコン畑の大東市にキミみたいな子が一人でも おってくれた。  ここに工場作って正解やった。

古いベテランパートさん達、一斉に辞め連日深夜まで残って仕事をしていた。

それは社長の心を打ったらしく、そのような感謝の言葉を言ってもらった。

キミだけや、会社の事を思ってくれるのは。

いや、社長、私は別に会社の事なんて何も思っていない、こんなになるまで放っておいた社長の責任です。

私は、ただ これから結婚する二人の門出に引き出物のケーキがないなんて、そんな最初からケチをつけるような事、イヤなだけです。  私も式に出た時、引き出物のケーキすごく楽しみやし。    それが許されへんだけです。

ひいては、それが会社の為になってるんやないか。

いや、違う。 私は会社なんて どうでもいい。   

かなり言い返した、私にとっての事実と真実。

しかし社長はそんな事より、社長が今味わっている現実の感動に熱くなっていた。 そして、社長の中で私は揺ぎ無い存在として位置づけられた。

それにしても、皆もずるい。 

愛人や、と言いながらそれを利用する、断りもなしに。

クリスマスの計画表 「総責任者・乾」 と張り出されていた。

大きな行事・誰も責任を取りたくない。

乾なら社長も、あんまりきつい事言わへんやろ。   見え見えである。

何で私ですか?  聞く気さえ起らなかった。

社長、張り紙を見て 「おっ、乾クン そうか、頼むで」   ああ、社長、どこまで心 元気なの、、。

そして、私の中で、「そろそろ この工場も辞めないとな、」 クリスマスも無事終え、パートさん達も1つにまとまった、やる事やったし。  そんな想いが生まれだしていた。

T社長の話・最終話

T社長とは、よく遊んだ。   飲み、話し、笑い。

ある晩、飲み終わった後、どうしても流れ星を見たくなった。

「星、見に行こ。  星 一杯流れているから」  「今からか?」

「そう、本当に星がきれくて、流れ星、あっちから こっちから流れているから」 「そんなに綺麗か?」 

「はい、163ずーっと飛ばして、木津川の川原」 「遠過ぎへんか?」

「だから綺麗なんじゃないですか。  私一人でも行って来るんで」  「危ない、それやったら一緒に行こう」

ルート163、山に向かって走って行く。 23時過ぎ、流石に車も少ない。

一応、きっちり行き着く予定だった。  だが、途中 この辺やったかなぁとハンドル切ったら、何故かズズズーッと下に、降りきった所は田んぼだった。   真っ暗、ライトの明かりだけ。

二人して、降りて確認、社長一言、「どこが川原や、刈ったばっかりの田んぼやないか」

「分かりました、ここから脱出しましょう」

ところが、田んぼの土手 なかなか高く登り切れない。

社長、「自分が重いせいや、俺が下りたら登れるはずや」と、降りて後ろから車を押してくれた。     社長、ごめん、、。

「なっ、乾クン今日は もう帰ろ、もうちょっと早い時に、また来よ」

「ほな、社長 先に帰って下さい。 私一人で行って来ます」

「アホ、どこに車あるねん、一台も走ってないやないか」  素直な私はブツブツ言いながらも引き返した。   その後、社長と星を見に行く機会には恵まれる事はなかった。

カラオケ、カラオケと宣う私に、「カラオケみたいなん、しょーむない、生オケや」言って、新地の行きつけのラウンジ様の店に連れて行ってくれた。

「おぅ、ママ  今日は彼女と一緒や」

グランドピアノ・外人さん達、接待のビジネスマン、英語が飛び交っている。  映画のワンシーンを見ているよう、ステキ。

ママ、サクスホーン・男性スタッフ ピアノ、もう一人の男性はフルート。

「あーって声出してみて」と、ママ。   私の声に音階を合わせてくれる。

やりました、社長とデュエット、「銀座の恋の物語り」   社長、ソロで 「北の旅人」    洒落たお店で中々渋い歌。   どういう所でも気取らない社長、気持ちいい。

「な、乾クン。 歌は生オケで歌わなアカンねん」

ある時は友人に会うと、Y新聞の偉いさんになっていらっしゃる方との飲み会に同席させてくれた。   二人とも、気持ちは大学時代に戻っている。

ラーメン食べたいと、そのまま尾道まで車飛ばした。 食べてすぐ戻り そのまま仕事に、「あの時のラーメン 美味しかったなぁ」と。

ああ、若さだわ、若いって素晴らしい。   ヤンチャ一杯やった仲間っていいなぁ。  二人の会話を肴に飲んでいた。

公人ではなく、「個」としての時間、仕事から唯一解放される短い時間。

その短さ、質の良いものであるならば、次の行動へのエネルギーとなり、宝の時間として、自身の歴史に刻まれるのだろう。

私の「個」の時間もTAC設立へと流れ出していた。

心を一緒に学んだ同期生から、「ぜひ一緒に、同志になってもらいたい」と誘いを受け、心理学教室開校に向けての話し合いを持ち始めていた。

社長に、それを告げた時、力強く引き留められた。

「そんなワケの分からん事せんと、ずっとここにおれや。 希望するんやったらフランスでもどこでも修行に行かせたる」

「いやいや、社長 私別にケーキ職人になりたくないし」

「それやったら、本社に来て事務やらへんか、秘書でもいいぞ」

「あのね社長、私の夢なんです、カウンセラー」  納得してくれなかったが、辞める決心は揺るがなかった。

皆の好奇の目も私の背中を押す最大の理由になった。   「愛人説」、これはいただけない。   そのような関係にはならなかったが、告白はしてもらった。  社長に そんな事を言わせてはいけない。 もう辞めないといけない、強く思った。

しかし、指一本触れる事無く、色々な所に連れて行ってくれた社長の男気、そこに美学なるものを感じる。   やたら触ってくる輩が多い中、「何もない」を貫いた社長、その意志の強さ 分けてもらいたい位である。

TACと社長のいる本社が近い事もあり、2回程度、工場を辞してからも社長の顔を見に行った。   アポなし、電話で、「今から行ってもいいですか?」

「おう、乾クン、今からか、いきなり言われても30分位しかないぞ。 次からは前もって言ってくれよ」  「はい」

ラ・ポッポのポテトアップルパイ、持参。

「これか、今女の子に人気あるとは聞いていたが、これか」 社長 試食。 「確かに美味しいな」

「乾クン、戻って来いや、辞めても こうして会社の事 思ってくれる人、他におらん、戻って来んか」    ありがたく、嬉しかった。  社長、そんな言葉 口にする人ではない。    勿体ないと感じていた。

2年半程の期間ではあったが、私の歴史にしっかり刻み込まれている、あの時間。

今は影も形もない。

社長が今どうされているのか、生死さえも知らない。

“栄枯盛衰” は社長の所にも訪れた。   倒産。

「乾さん、おってくれたら こんな事にならなかったやろうなぁ」 みんなで言っていたんですよ。    倒産した後、たまたま大阪市内で出会った工場の仲間に言われ、その時会社が倒産した事を知った。

「社長、最後すごく大変だったんですよ、みんなから詰め寄られ、身体も えらい壊されて」

やるせなさで、胸が痛くなった。

仮に私が残っていたら、少しは違う形になっていたんだろうか。    いや、私など、何の力にもなりえない、そのような能力、全く持ち合わせていない。

能力の無さ、今も変わらず、情けないほど味わっている。

今、社長は どうしているのか、生きていようと、亡くなっていようと、その魂、苦しさから解放され晴れやかなものであって欲しい。

この下書きを書き終えた今、窓の外で雪が乱舞している。

雪解けの後、時は確実に春を連れてくる。

暖かく、綺麗な春を。

ブログを書き終えた今、空は冷たい夕焼けに時を移している。