T社長の話・最終話

T社長とは、よく遊んだ。   飲み、話し、笑い。

ある晩、飲み終わった後、どうしても流れ星を見たくなった。

「星、見に行こ。  星 一杯流れているから」  「今からか?」

「そう、本当に星がきれくて、流れ星、あっちから こっちから流れているから」 「そんなに綺麗か?」 

「はい、163ずーっと飛ばして、木津川の川原」 「遠過ぎへんか?」

「だから綺麗なんじゃないですか。  私一人でも行って来るんで」  「危ない、それやったら一緒に行こう」

ルート163、山に向かって走って行く。 23時過ぎ、流石に車も少ない。

一応、きっちり行き着く予定だった。  だが、途中 この辺やったかなぁとハンドル切ったら、何故かズズズーッと下に、降りきった所は田んぼだった。   真っ暗、ライトの明かりだけ。

二人して、降りて確認、社長一言、「どこが川原や、刈ったばっかりの田んぼやないか」

「分かりました、ここから脱出しましょう」

ところが、田んぼの土手 なかなか高く登り切れない。

社長、「自分が重いせいや、俺が下りたら登れるはずや」と、降りて後ろから車を押してくれた。     社長、ごめん、、。

「なっ、乾クン今日は もう帰ろ、もうちょっと早い時に、また来よ」

「ほな、社長 先に帰って下さい。 私一人で行って来ます」

「アホ、どこに車あるねん、一台も走ってないやないか」  素直な私はブツブツ言いながらも引き返した。   その後、社長と星を見に行く機会には恵まれる事はなかった。

カラオケ、カラオケと宣う私に、「カラオケみたいなん、しょーむない、生オケや」言って、新地の行きつけのラウンジ様の店に連れて行ってくれた。

「おぅ、ママ  今日は彼女と一緒や」

グランドピアノ・外人さん達、接待のビジネスマン、英語が飛び交っている。  映画のワンシーンを見ているよう、ステキ。

ママ、サクスホーン・男性スタッフ ピアノ、もう一人の男性はフルート。

「あーって声出してみて」と、ママ。   私の声に音階を合わせてくれる。

やりました、社長とデュエット、「銀座の恋の物語り」   社長、ソロで 「北の旅人」    洒落たお店で中々渋い歌。   どういう所でも気取らない社長、気持ちいい。

「な、乾クン。 歌は生オケで歌わなアカンねん」

ある時は友人に会うと、Y新聞の偉いさんになっていらっしゃる方との飲み会に同席させてくれた。   二人とも、気持ちは大学時代に戻っている。

ラーメン食べたいと、そのまま尾道まで車飛ばした。 食べてすぐ戻り そのまま仕事に、「あの時のラーメン 美味しかったなぁ」と。

ああ、若さだわ、若いって素晴らしい。   ヤンチャ一杯やった仲間っていいなぁ。  二人の会話を肴に飲んでいた。

公人ではなく、「個」としての時間、仕事から唯一解放される短い時間。

その短さ、質の良いものであるならば、次の行動へのエネルギーとなり、宝の時間として、自身の歴史に刻まれるのだろう。

私の「個」の時間もTAC設立へと流れ出していた。

心を一緒に学んだ同期生から、「ぜひ一緒に、同志になってもらいたい」と誘いを受け、心理学教室開校に向けての話し合いを持ち始めていた。

社長に、それを告げた時、力強く引き留められた。

「そんなワケの分からん事せんと、ずっとここにおれや。 希望するんやったらフランスでもどこでも修行に行かせたる」

「いやいや、社長 私別にケーキ職人になりたくないし」

「それやったら、本社に来て事務やらへんか、秘書でもいいぞ」

「あのね社長、私の夢なんです、カウンセラー」  納得してくれなかったが、辞める決心は揺るがなかった。

皆の好奇の目も私の背中を押す最大の理由になった。   「愛人説」、これはいただけない。   そのような関係にはならなかったが、告白はしてもらった。  社長に そんな事を言わせてはいけない。 もう辞めないといけない、強く思った。

しかし、指一本触れる事無く、色々な所に連れて行ってくれた社長の男気、そこに美学なるものを感じる。   やたら触ってくる輩が多い中、「何もない」を貫いた社長、その意志の強さ 分けてもらいたい位である。

TACと社長のいる本社が近い事もあり、2回程度、工場を辞してからも社長の顔を見に行った。   アポなし、電話で、「今から行ってもいいですか?」

「おう、乾クン、今からか、いきなり言われても30分位しかないぞ。 次からは前もって言ってくれよ」  「はい」

ラ・ポッポのポテトアップルパイ、持参。

「これか、今女の子に人気あるとは聞いていたが、これか」 社長 試食。 「確かに美味しいな」

「乾クン、戻って来いや、辞めても こうして会社の事 思ってくれる人、他におらん、戻って来んか」    ありがたく、嬉しかった。  社長、そんな言葉 口にする人ではない。    勿体ないと感じていた。

2年半程の期間ではあったが、私の歴史にしっかり刻み込まれている、あの時間。

今は影も形もない。

社長が今どうされているのか、生死さえも知らない。

“栄枯盛衰” は社長の所にも訪れた。   倒産。

「乾さん、おってくれたら こんな事にならなかったやろうなぁ」 みんなで言っていたんですよ。    倒産した後、たまたま大阪市内で出会った工場の仲間に言われ、その時会社が倒産した事を知った。

「社長、最後すごく大変だったんですよ、みんなから詰め寄られ、身体も えらい壊されて」

やるせなさで、胸が痛くなった。

仮に私が残っていたら、少しは違う形になっていたんだろうか。    いや、私など、何の力にもなりえない、そのような能力、全く持ち合わせていない。

能力の無さ、今も変わらず、情けないほど味わっている。

今、社長は どうしているのか、生きていようと、亡くなっていようと、その魂、苦しさから解放され晴れやかなものであって欲しい。

この下書きを書き終えた今、窓の外で雪が乱舞している。

雪解けの後、時は確実に春を連れてくる。

暖かく、綺麗な春を。

ブログを書き終えた今、空は冷たい夕焼けに時を移している。

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