5.黒と白の狭間で・空海(くみ)

「なぜプロになった?」

「ブルガリアから戻って、ピアノのが好きだったし、それ以外 考えられなかった。 学校の先生や色々な先生方も、プロになりなさいと言ってくれた。 ただ、母は趣味で続けるのはいいけれど、プロは安定しないからダメと反対だった。」

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1) Sへの応援歌・第一章

 これから記する事は、Sと私の10年に及ぶ「心の軌跡」である。

物語はまだ完成していない。

しかし、これまでの流れを世に出す事で、「今 人生に迷っている、答えが出ずに苦しんでいる」 そんな方達の轍になってもらえれば幸いである。

それが例え細いものであっても、、、。

また、公表する事を受け入れてくれた彼女、Sさんの勇気に謝意を表する。

①  出会い

今から10年前、2010年7月の暑い日だった。

チャイムが鳴りドアを開けると不安そうに立っているSがいた。

「こんにちは。 どうぞ」 カウンセリング希望。

勤務中(訪問看護)に、動悸・顔のほてり・過呼吸・不安に襲われ、それから夜中にパニック発作を起こすようになった。

か細い声、途切れ途切れな話。

人に対する恐怖、威圧的な人が苦手、加えて口下手、故に怖さを感じる人の前では物事を伝えるのに絶えず緊張・萎縮し疲れ切ってしまう。

家族構成・・・夫と長男(5歳)

発作は死の恐怖を伴う。 呼吸が苦しくなり、息が出来ない。 死んでしまうんじゃないか、と。

夫にも言わず、言えず、病院にも行かず、恐怖の中、何とかしたいと辿り着いたのがTACカウンセリングルームであった。

病院を選ばなかったのは、薬に頼りたくないとの想いからだった。

TACに来るまで、何度 発作を起こしたのか、きっとSにとっては長く苦しい時間だったに違いない。 しんどかっただろうな。

今、Sは当時を振り返り「ワラにもすがる想いでTACに来た」と語っている。

職場においては人間関係

自身の身体はパニック発作

夫婦関係、夫に対する色々な思い、不信感 

子育て・家事・それらを一人で背負っている。  

沈んだ肩にその重み、痛みを乗せている。  まるで怯えている雛鳥のようだった。

話す事は放す事。

少しラクになったのか、心理学に興味のあったS。  以降は授業を受けながら並行して自身の問題も見つめていくという自由な形でカウンセリングを続ける事なった。

こんな時、小さい教室は自由で融通が利く。 そして、私が雇われ講師だったら、このような特別カリキュラムは許されなかっただろう。

こんな事位でラクになってもらえるなら、大いに甘えてもらいたい。

カウンセリングが終わり、見送る彼女の肩は もう下がっていなかった。

しかし、Sは この後から来る辛さ、どうしようもないしんどさ、先が見えなくなるほどの怖さ・不安を伴った数々の現象がSを襲う事を知る由もなかった。 この時点では。

TACカウンセリングルーム

大阪・北浜の心理カウンセラー乾 より

2)Sへの応援歌・第一章

②  授業で

心理学に興味のあったS。  知らない事を知る楽しさ・心のカラクリが分かるにつれ、目がイキイキ、表情も明るくなっていった。

しかしながら、パニック発作は そんなに簡単に消滅するものではない。

実は、治したい、そのパニック発作こそが、彼女を他の危ない現象から守ってくれている、遠ざけてくれている お守りのようなものだったからである。

それを 伝えたところで、ココロに入学したばかりのSに理解は難しい。

「大丈夫、いつか気がついたら発作、無くなっているからね」伝え続けた。

今、Sは身体でその事を感じている。 発作が出る事は ほぼ無い。  また、出てきそうになっても、それは 無意識からの ”気づけよ” サインであると理解している。 故に、恐怖ではなく、「意味あるもの」として捉えている。

その 「意味」 が分からない時は 質問という形で理解しようとしている。

Sの関心を引いたのは、無意識の領域。

そこに何があるのか、どんなものなのか、それを知るにはどんな方法があるのか。

Sの場合、本人が全く気付いていない、言葉以外の表現 例えば、「それ、笑って言える内容?」  やや笑顔になりながら、緊張を自身で和らげて来たのだろう。  そんな事、本人は全く気付いていなかった。 何しろ、無意識なので、、。

また、夢を用いてじっくり検証した。 

夢の果たす役割・どんな夢を見たか、同じ夢を何度も見るか。

Sは、夢に取り組みだした頃、「蛇」現れる事が、何度かあった。

最近は、肉体の方が疲れ過ぎているためか、寝たと思ったらもう朝になっている、夜 どこに行ったん? 状態である。  ある意味、好ましいとも言える。

子供を見てくれる人がいないと、何度か長男(5歳)を連れて来た。

優しい母、がそこにあった。   しかし、本物の優しさではない。 「弱さ」を優しさで覆っている、そこから来る優しさであった。

いつか、長男はSを苦しめるだろう、見てとれた。  じっさい、6〜7年後、長男、手に負えなくなりだし、新たな問題となってSを苦しめる事になる。

どんどん、心理学の知識を吸収し、心が分かるようになってくると、なんか、こう、もう大丈夫なんじゃないか、という気になってくる。

習った理論で、解決とまではいかなくても、何とかやれるんじゃないか、と感じたりもする。 そんな時期がある。

私にもあったから分かる、その 「大きな錯覚」。

TACの扉を開けた、「その日」 から、Sの心 ラクになっていたのだろう。 何かあったら、また相談に来ればいい、という安心からか、TACから遠ざかる、第一回目訪れ、自然にSは来なくなった。

TACカウンセリングルーム

大阪・北浜の心理カウンセラー乾 より

3)Sへの応援歌・第一章

③  長男 反抗期

S、長男の事で相談したいと連絡してきた。   やはり、な、、。

人は順調な時は遠ざかる。 

“頼りが無いのは元気な証拠”  この言葉、誰が最初に言い出したのか、ほんと仰る通り。

長男、5年か6年になっていた。  嘘をついて困る、と。

塾に行くと言って出かけ、遊んでいた事が発覚。

どんな遊び?     野球・サッカー。

長男に、「何故 行かないの? 塾に行くように」 と言ってものらりくらり、キレて反抗してくる。

「どうしたら塾に行くようになりますか?」と。答えを求めて来た。

塾ねえ、、何故 塾に行かせたいの?   今、成績が下がっているの?

「いいえ」  算数、90点台、国語も問題はないとの事。

別に塾に行く必要ないやん。

「、、、。」

ねえ,Sちゃん、もしかしたら算数苦手やったん違う?

「はい、今でも苦手です。嫌いです。」

せやろなぁ、それ投影やで。 (心理学の専門用語・Sは既に習い済み) 自分が不安やから、このままいったら分からへんようになるって、Sちゃんが不安で焦っているんと違うの?

「ハッ」 顔色変わる。 「その通りです、私が不安なんです」

せやろ、せやったらSちゃんがそこの塾に行き、息子と同じ教室で、息子の隣で算数習い。

「えっ、私がですか?」

だって、それSちゃんの問題やろ。  ○○くん、何も困ってないで。  Sちゃん不安やから○○君に論理的に説明して納得させる事、出来ないんやろ。  ただ、「行きなさい」位で行くわけないやん。 それ、見抜いてやんねん。

S、目を丸々、キョトン顔。

まさか、そんな事言われると思ってもなかったのだろう。

S、今まで自分にとって脅威を感じさせる人、物、出来事から逃げて来た。

傷つけられそうになると、引く・辞める、という形で終わりにして来た。

“発作”を理由に。   そう、”パニック発作”は自分を正当化させるに十分な現象であった。

続かない母を見て来た長男。  口下手な母に対して長男は口がたつ。

ならば、行動で示すしかない。  背中を見せるしかない。

まず、自分が苦手から逃げない。

何があっても、小学校の算数までは解ける位になってもらわないと。

㊟  ここで しっかり棚上げしておく。 この私、多分2年生の問題も解けないだろう、 偉そうに言ってるわ。

行く限りは何があっても続けや。

腹を決めたS、「はい」

今日 早速塾に行って申し込みや。 そんな前例無いから、先生 びっくりしはーるやろうけど、そこは気迫や!!   何が何でも、算数 出来るようになりたいんです。 息子にその姿見せたいんです、と。

本気や、と思ったら先生 絶対受け入れてくれはーるはずや。

私は普段、”絶対”という言葉は使わない。  しかし、この時は”絶対”と言っていた。 

S、素直で行動が早い。

塾の先生、それは ビックリされたようで、流石に隣の席で一緒に習うというのは出来ない。 特別に日を設けて算数教えましようと、入学許可をくれた。

長男、大反対。

「何やねん、それ!  そんなかっこ悪い、絶対反対や。 行くんやったら他の塾に行け」 豪い憤慨していたらしい。

おい、長男、別の塾やったら意味ないねん、誰より恥ずかしいのはSや。  いずれ分かる時が来る、多分、親になって同じような経験をした時に。  自分は何て凄い母をもったんだろうって。

塾にしても前代未聞、子供の教室に大人が一人、小学校の算数を習いに来るのは。

しかし、究極の贅沢ではないか。  マンツーマンで教えてもらえるなんて。

確か、分数から始まったのではなかっただろうか。

“継続” とはえらいもんで、毎週が、半年ほど続いた頃には当たり前の事として、息子も何も言わなくなっていた。  塾代も、兄弟割引きのサービスを塾はしてくれていた。

それから2年ほど、次の目標が決まるまで、Sは通い続けた。

後半は、数字が楽しい、というセリフに代わっていた。

嫌やで、Sちゃん、うーん、この数式 美しいとか、難しい事言わんといてや。 等と大笑いしていた。

次なる目標のため、Sを応援しようと算数の時間を小論文対策に変えてくれ、塾をあげて先生方協力してくれた。

続けるって、粋な計らいを神様はしてくれるんだな。   

これも、Sが歯を食いしばって自分で掴み取ったもの。

私は、そんなSから感動をもらう。

そして、思う。   こんなステキな女性に出会えたんだなぁ、と。

TACカウンセリングルーム

大阪・北浜の心理カウンセラー乾 より